XPで愛を語ってみちゃったり。

すごい古い記事で恐縮(なんで?)なのですが、最近以下のエントリに共感を覚えたのでのっけます。

mamezou.net

わたしもXPに関しては、書籍ばかりはKent Beck氏のあの白い薄っぺらい本に衝撃を覚えて以来、シリーズ本を読みあさることはしていたのですが、実戦への適用に関してはウォーターフォールの圧力を跳ね返す程の自信と勇気がなく、なよなよと流されるままでした。

しかし、とあるプロジェクトで、ついにXPを適用する決断をしました。実際、性質的に研究開発に近いプロジェクトで、全体の工数を事前に見積もることがかなり困難であり、XPのような変化に適用できる運営手法が妥当であったということも、決断を後押ししました。

ところが、開発したもの自体は最終的サービス提供まで至りましたが、その間、様々な問題により険悪なムードに包まれた状態が長く続きました。

その原因を振り返って見ると、僕自身、XPの各プラクティスを単なる「手法」としか捉えられていなかったことにあるということをここに告白せざるをえません。XPのシリーズ本を読み込んだつもりでいながら、肝心なスピリッツの部分についてはほとんど頭…いやハートに刻み込んでいなかったんだなと。

例えば、前述の記事の以下のような文章にそれを感じました。

既に述べましたが,特に顧客が計画ゲームというものに始めて取り組む場合などには,作業に慣れて歯車がうまく回り始めるまでにしばらく時間を要することが多いものです.開始当初にうまく行かないからといって,開発者がそれに苛立ってしまって本来顧客が行うべきストーリーの記述や優先度の決定の作業を開発者自身が行ってしまうと,多くの場合問題が発生します.計画ゲームの狙いは,顧客自身が要求を出し優先順位や計画(範囲)を決定することで,顧客がそれらに対して能動的に参加し責任を持つようになることであると考えます.それらを開発者の手で行ってしまうと,それまで出てこなかったストーリーが,数としてはたくさん出てくるようになり,当面はうまく進み始めたように感じるかもしれませんが,結果的に顧客は受身となり本来計画ゲームが狙っている目的が果たせなくなります.

ん〜、まさにこれをやってしまったなあ…。そしてその通り、その顧客の研究開発だったはずが、いつの間にか僕らが開発した製品を買い上げてもらってるような状況になってしまった訳です。つまり、顧客にとって、「自分たちのモノ」ではなく「あんたたちが作ったモノ」になってしまったがために、関係がぎくしゃくしてしまったんだろうと思います。

XPを始めとしていわゆるアジャイル開発の最も重要なことは、プロジェクトの本当の意味での成功を、開発者が、あるいみ顧客(というよりビジネスパートナー)を巻き込み(かっこよく言えばファシリテートし)ながら自分たちのなすべき仕事に集中するという強い意志であると思います。

それを実現するためには、契約から始まり、作業場所のレイアウト、過激なほどの情報共有、徹底したテスト、顧客の受け入れテストの実施サポートなどなど、とにかくあらゆる手段を用いて行う…それら断片が「プラクティス」と呼ばれているだけなんです。

技術者として、「ITの力で『できない』ことを『できる』ようにしたい」という理想をもつことはとても大事です。でも、そのために他を顧みないサービス精神で手取り足取りで開発を進めることが、本当に目の前の顧客のためになるんでしょうか。

愛とはただ甘やかすことではなく、そして押しつけでもない。
そう思っている私はXPの精神と愛をつなげて考えてしまいます。

じゃあ、愛ってなんなのか…ん〜人生の探求は続きます。